おコメ博士の闇米日記

日本農業(特におコメ)について考えるブログです。

誰のために農学は鳴る?

最近かんがえていることの一つに、農学ってなんだ?ということがあります。

というのも、学部、修士、博士と3つの学生ステージで「農学」フルコースを学んできた私なのですが、「農学」が実際の生産現場にどれだけ役立っているのだろう、ということには大いに疑問を感じるようになったからです。

例えば、私が修士時代に実際に取り組んでいた研究には「イネの高温登熟障害回避機構の作物遺伝学的解析」などという大層なタイトルがついていた訳ですが(この時点でなんじゃいな、と思うでしょう。)、私の修士論文や投稿論文を読む農家の人なんてまずいませんし、読んだ物好きがいたとしても専門用語が乱発してる100ページ超えの論文を理解できる農家の人をイメージするのはとても難しい。

植物学者のイラスト

ところが、農学の世界ではこれが高い評価を受ける訳ですね。

それは(1)最新の技術である手法を使っていること(技術は日進月歩だからもう最新でもなんでもないけどね。)や、(2)多面的な角度から解析していること(遺伝子の発現や植物生理、形態の観点から)や、(3)十分な統計手法を用い論理的に結論にたどり着いているから、なのです。

で、海外のレベルの高いジャーナルに論文が掲載されたら、研究者としてのポイントもアップし、就職や出世につながる、というのが科学界の常識。所属する大学や研究機関としても論文数は超重要なファクターなので、論文を出せる人こそに研究資金も投入したい訳なのです。それは科学の世界外からみると「それってどうなの?本末転倒じゃない?」と思うのがフツウなのですが、科学の世界では「サイエンスなんだからそれがあたりまえ。」という話になってしまうのです。

出世街道のイラスト(男性会社員)

さて、その後幸か不幸か私は生産現場にどっぷりと浸かる(研究業界の中では、という意味でね。)立ち位置に行くわけですが、多くの農家さんと接することで初めて現場と研究のリアリティの乖離に気が付く訳です。

あれ?

科学の世界で価値のあったものが、生産現場で全然価値がねぇ!

と。

泣き寝入りのイラスト(男性)

生産現場からすれば当然の話ですが、遺伝子の一領域の機能がどうなってるとか、酒のツマミになることもあるかもしれないが、基本的にはどーーーーーーーでもよい話で、そんなことよりどう栽培すればコスト下げれるかとか、どうすれば品質安定させられるかとか、具体的な話が知りたい訳です。

ところが研究の世界では、名目上はいろんな目的を設定しとる訳ですが、その目的は科学的なプロセスを通じて達成しなければならない(論文にならないと科学的評価に該当しないから)という枷がハメられているので、どんどん現場よりの情報から遠ざかっていくことが少なくありません。農学業界の超あるあるです。

そもそも大学や研究機関で生産現場の雰囲気をちょっとでも知ってる人って、感覚的な話ですけど1%はいないと思うのですね。学会終わりのレクレーションで農家見学いきましたーってレベルはあっても、最近米価が下がってるってことを知らない人もいるくらいで。

何がいいたいかというと、それくらい今の農学って、生産現場と乖離している、ってことなのです。

忙しく仕事をしている白衣の男性のイラスト

そんな農学世界の実情をみると、

「農家の役にまるで立たない研究を税金でやっていて恥ずかしくないのか!」と研究者に詰め寄りたくもなりますが、科学なるものは厄介で、実用性がなくても価値を認めていることに科学性があったりもします。

なので研究者は、「学問には例えその時役立たなくても学問することに価値があるんだ」的なことをいっていくらでも逃げることが出来てしまうでしょう。

それは、学問というものの表現として決して間違った主張ではないと思いますが、それが無意味な研究を肯定化するための方便になってしまえば、学問そのものの信頼性というのは揺らいでしまうでしょう。←今ココ、という感じがします。

そもそも大辞林によれば、農学は

農業生産に関する原理や技術を研究する学問。農政や農業経営に関する分野も含む。

と抽象的にしか書かれてませんから、実学的でなくともだいたいの研究は農学には当てはまるんですよね。

じゃあ農学ってずーっとそうだったのかよ、と思っちゃいますがそういう訳でもないようで、先輩などの話をきくと20~30年前は今とはだいぶ空気が違ったらしく、もっと現場寄りの研究は多かったようなのです。

研究機関への予算が縮小し、成果主義の傾向が強くなってから論文至上主義が進んだ、とかなんとか。

まぁもっとさかのぼると、かつて東京農大初代学長の横井時敬(よこいときよし)は、「稲のことは稲に聞け、農業のことは農民に聞け」「農学栄えて農業亡ぶ」というシビれる名言をいくつも残しておりました。現場感がありますよね。

まぁでも当時からそんな言葉が出ているということは、農学が栄えて農業が滅びかねない風潮は、大きな時代のうねりとして長いこと有り続けてきた問題なのでしょう。

 

なんにせよ、今の時代横井さんのそんな名言にシビれているのは、農学の世界では理想主義者、という扱いになってしまうこと間違いなし。

そんなことよりまずは論文。出さなきゃ食えないし、出世も出来ないぞ。

というのが、農学の世界の偽らざるリアルです。横井さんも頭を抱えるでしょうな。

 

さてさて、そんなすさんだ農学の世界ですが、「農家のための農学」なるものが成立するとすれば、どんなものなのか?を、最近不遜にもかんがえていたりして。

今度、そのイメージについても書いてみようと思っているのです。