おコメ博士の闇米日記

日本農業(特におコメ)について考えるブログです。

ちょっと変わった自己啓発本『働き方完全無双』の読書感想

ひろゆき氏(@hiroyuki_ni)の著書「働き方 完全無双」を読んで、面白かったので感想です。

働き方 完全無双

働き方 完全無双

 

 

「起業」とか「副業」とか「多拠点生活」とか、はたまた政府まで「働き方改革」なんて意識高い言葉が飛び交ってる昨今の日本。

経産省の若手官僚が「不安な個人、立ちすくむ国家」なんてタイトルで資料↓を作るくらいなので、一般市民のみならず「昭和の人生スゴロク」(正社員終身雇用×結婚×子育て×年金)が成立しなくなるぞってのは年々リアルになってきています。

経済産業省 第20回 産業構造審議会総会 資料)

http://www.meti.go.jp/committee/summary/eic0009/pdf/020_02_00.pdf

 

とは言え、いきなり「会社をおこせ」とか「副業だ」と言われても、「なんだか暑苦しいしなぁ~」とか「ピンとこないなぁ~」って人におススメなのが、全然あつくるしくないこの本。軽井沢の気候並に、めっちゃ涼しい・・・。

ということで、本の中で刺さった文言別に、思ったことを書いてみます。

僕の考え方は、「最悪を想定しておくこと」が大前提になります。

超専門的な話から誹謗中傷まで、善意悪意が混在した幅広―い会話が自由に繰り広げられる2ちゃんねるの開設者ひろゆき氏だけあって、「性善説では物事を見ない」ってのが彼独特の感覚なんじゃないかと個人的に思っています。著書の中で「最悪を想定しておく」と書いてますしね。

確かにこれまでの日本社会はかなり性善説でやってきた気がします。

大人はちゃんとしてるし、会社はちゃんとしてるし、社会はちゃんとしてる。。。

だから黙って言うことを聞いてれば、それなりに幸せな生活を送れますよ、てのが昭和時代。

でも、今の時代はその前提が崩れてきてるかも?

新卒の就職先としては花形の「電通」でも、真面目な人ほど頑張り過ぎて過労死したり、日大では監督の言うことを真面目に聞いてたらとんでもないタックルをしちゃって大問題になっちゃったり、する時代ですからね。

だからひろゆき氏の基本スタンスは、時代や社会が変わったので考え方の前提を変えた方がいいよ、ってことだと思っています。

先進国で生まれた、あなた。残念でしたね。

という不穏な書き出しで始まるこの本。

「頑張れば道は開ける」的なスポ根価値観が未だに息づいている日本社会で、「能力なんてものは存在しない」と断言する意見は強烈です。

未だに「バブルがまた来ないかな」と呟いてる呑気なおじさんもいる中で、グローバルな経済の流れと先進諸国の状況をみて、沈んでゆく船の中でどうやって個人的に幸せになるか、を考えてるのがこの本の異色なトコロ。

日本の少子化問題についても

誰が政治家になっても、どんな賢い起業家が生まれても、この流れは止められない

と言い切り(受け取る人によってはとっても悲観的な意見に見えるでしょうね)、その事実は変えられないから少子化を前提に考えよう、というスタンスがひろゆき氏の考えのポジティブなトコロだと思っています。

「ゲーム」と割り切ればいい

っていう人生観はとても共感できました。ゲームって、自分次第でどんな状況でも設定できるんですよね。

例えば、僕の子供時代は遊戯王カードゲームが流行っていて、金持ちの子なんかは親に五千円以上のカード詰め合わせの箱を買ってもらったりしていました。

ところが、僕の家庭はカードゲームにお金は使わない主義だったため、まったく買ってもらえず。がびーん。いいカード全然手に入らないやん。。。

でも、「なんとかしてゲームには勝ちたい」という訳で、お金を使わずに強いカードデッキを作る、という個人的なゲームがスタートしていました。

で、よくよく友達を観察してみると、友達によってはカードの強さよりも、「キラキラしてる」「キャラクターがかっこいい」に価値を感じる人がいたり、一方で「見てくれはどうでもいいから使えるカード」に価値を感じる人、と様々なパターンがあることに気付く訳ですね。

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懐かしい遊戯王カード。負けるとカードを1枚とられるので、弱い段階では勝てそうな相手とだけ勝負するのが賢い戦略だった。

なので、実用性重視の友達から要らなくなった「見た目はいいけど弱い」カードをもらって、違う友達と「見た目は悪いけど強い」カードと交換するようにしていました。結果、トレードを繰り返すことでどんどんデッキが強くなっていく訳ですね。

結果、お金はかけずに十分遊戯王カードゲームを楽しめ、かつ自分のやりがい(「お金をかけずに強くなる」という自分のゲームを突破すること)を見つけることも出来た、という子供ながらの記憶があります。

ということもあって、なんでもゲームと捉え、難しい条件を突破するにはどうしたらいいか?を考えることを楽しめるひろゆき氏にはとても共感するのでした。

 やはり「地方」がコスパ最強?

都市の生活はお金を使うことが前提になってる気がしますが、地方は確かにお金をそこまで使わなくても生きていけます。

例えばいま僕が住んでる所は、限界集落のボローい家なので家賃はナント3000円。住む人が誰もいないので、タダでも住んでほしい勢いなのです。

そもそも今や日本全国空き家は増えてるので、大家さんとの交渉次第では僕みたいに1万円以下で貸してくれる物件も増えているはず。僕はサボり気味ですが、畑もついてるので野菜をつくることだってできます。

家賃以外の出費といえば、電気ガス光熱費(1万)、ネット(5000円)、ガソリン(5000円)、食費(3万)くらいなもので、自炊を頑張れば5万くらいで生活可能。

自分で野菜をつくったり、近所の人からもらったり、すれば尚更節約できます。

娯楽にしたって、アマゾンプライムに入っていればかなりの映画が見れるし、図書館で本をリクエスト購入したりすることも出来る訳ですね。

Amazonプライム・ビデオ

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ここの田舎だと、ベーシックインカム7万円導入されても十分生きていけますね。

もちろん田舎には田舎特有のやらなきゃいけないこと(草刈りとか)や不便なこと(家が古いとか)はあったりしますが、都市の蒸し暑い気候や人の多さ、高い生活コストと比べてどっちをとるか、って話なんじゃないでしょうか。個人的には東京の蒸し暑さとか満員電車の方がきついですね。

まとめ

そんなこんなで、「〇〇をやらなければ」的な不安を煽る系の自己啓発本が多い中で、具体的にこんな風に考え方を変えてみたら?ライフスタイルを見直してみたら?と、足元をみつめて書いてあるのがこの本の面白い点でした。

昨今のジリ貧な日本経済の状況を前提にしてるので、タメになる人も多いのではないでしょうか。

 

P.S.

ちなみにこの本は市立図書館で借りて読んだので、為になる他人の考え方を0円でインプットできた訳なのです。図書館万歳、ということですね。

日本は国際的にみて尖った農業をやることに価値があるんじゃないのかな説。

田んぼで作業をしていると、近所の人とバッタリ出くわして話に花が咲くのが農家というもの。新農家とは言え、立ち話に関してはなかなかの腕前になりました。

さて、よくある立話の流れで、こんな風に驚かれることが多いことに気付きました。

「え?肥料を入れないの?なんで???」

そう。なにを隠そう、僕らは肥料や農薬を使わないでおコメを作っているので、一般的な感覚からするとクエッションマークが頭にたくさん浮かんでしまう訳ですね。

だって、肥料をあげた方が稲はよく育つようになるし、その方がたくさん獲れやすくなります。それは、農業者じゃなくても誰しもが知ってること。

それでも敢えて肥料や農薬を使わないのは、おバカさんなのではなくて(と、自分では信じたい(^^;))、理由があるからです。

今回は、田んぼでの立ち話レベルでは言い切れないことを、このブログに書いてみようと思います。

 

おコメをたくさん作ることに価値があった時代。

今から約50年前は、コメは結構もうかる農作物でした。

戦中におコメが食べられなかった世代が日本にまだ結構いて、おコメをお腹いっぱい食べることに幸せを感じていた人が多かったからです。

コメ農家はこぞってたくさんおコメを作り、収穫量をあげる努力を重ねていました。なにせ、作れば売れる時代。モチベーションもMAXです。

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こういう時代には、「肥料や農薬をつかいながら、一つの田んぼからどれだけたくさんの収穫量を得るか?」という方法に相対的な価値があります。

一般的に収穫量が減りやすい肥料や農薬を使わない方法は、こういう時代であれば注目されることはなかったでしょう。

今の時代でもアフリカ等の食糧がまだまだ足りていないトコロも似たような状況です。いくら環境にいいとか、健康にいいとか言ったって、飢餓が起こり得る状態の場所では、とりあえず食べ物がたくさんないと話にならないですからね。

 

おコメをたくさん作っても価値が生まれにくい時代になっちゃった。

さて、ところが2020年を目の前にした現在の日本では、幸いにしておコメが食べられない人がたくさんいる、という悲しい状況はなくなりました。それどころか、日本人のコメ離れは進み、結果コメは余り、米価の低迷が続いています。

作る側としても、肉体的に大変な割ににまったく儲からないので、親も子供に農家を継がせようとはしなくなりました。

加えて昨今では、昔に比べるとはるかに安い物流システムがグローバルにできあがったため、輸入や輸出のハードルが格段に下がっています。情報やモノの移動も活発なこともあって、アメリカやオーストラリア、中国や東南アジア諸国では、日本米の効率的な生産が行われています。

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東南アジアでは人件費で、アメリカやオーストラリアでは農地(スケールがめちゃんこデカい)で、日本よりもコメ作りの大きなアドバンテージを持ち、安くてそこそこのおコメを生産することが出来ます。

こうした背景も、日本のコメ作りの将来に不安な影を落としている要因です。

 

それでも稲作文化の日本はコメでめちゃくちゃ下駄をはける説。

てなことで、日本農業にもなかなか難しい時代がやってきています。

これまで通りなコシヒカリの作り方では、昔みたいな価値は生まれないし、国際的には価格でボロカスにやられそうだし、若者にとっても魅力的な仕事には映りにくいからです。(自給自足とか、スローライフ的な農業に魅力を感じる人は多いようなので、あくまでも産業としての話では。)

TPP等の自由貿易の交渉も、どんな結末を迎えるか分かりませんからね。

と、そんな風に一つ一つファクトをみていくと、結構暗い気分になってきがちですが、実は日本農業は国際基準でみてかなり大きなメリットももっていたりします。

例えば文化。

日本のコメ文化は歴史が長いので、コメに関連したモノがたくさんあります。

米俵、しめ縄、わら細工、五円玉の稲穂、とかとか。

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寿司や日本酒といった食文化もそうですし、神社や神技とコメの関わりもかなり深いです。アメリカ人が作った日本酒と、日本人が作った日本酒、どっちが呑みたいか?という点で、日本人はかなり得を出来ます。つまり日本はコメを推そうと思えば、かなり推せる状況にはある訳ですね。逆にアメリカ人が作ったハンバーガーと、日本人が作ったハンバーガーでは、アメリカ人の方が下駄をはける訳です。

歴史を伴った文化は、一朝一夕で真似できないので、他の国に比べると超アドバンテージです。アメリカは「米国」ではあるけれど、米関連のグッズもイメージももっていないですからね。

 

日本稲作は「とがる」ことが生きる道?

てなことで、日本のコメは国際市場で価格で勝負すると敗北必至なので、常に相手と違う土俵で戦う方が勝機は巡ってきやすいだろう、てのが僕の考え。

デカいマーケットはとれなくても、ニッチはとれるだろう、と。

そこで、大量生産型のコメとはまったく違いますよ、っていう作り方で差別化していくのが結構大事なんじゃないかと思っています。

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で、肥料や農薬を使わない、ってのは尖り方の一例で、色んな尖り方があります。

農業には色々なやり方があって、また「こだわり」をもって取り組む生産者さんも多いので、農法についての議論はよく起こります。それがナニ農法なのかっていう名称も人によっては結構重要なので(自然農法か、自然栽培か、〇〇式自然栽培か、など)、今回は「トガるってのが重要なんじゃないか?」って所までにしておきましょう。

慣行栽培派vs有機栽培派、有機栽培派vs自然栽培派、自然農法派vs自然栽培派などなど、農法における対立の構造は中東の宗派対立並に複雑ですからね。

 

無肥料無農薬栽培で作り方の差別化はできるけど、それが結果おコメにどんな違いをもたらすのか?等のテーマはまた今度。 

ちなみにですが、無肥料で稲を育てると稲の葉は窒素過多になることがほぼないので、窒素過多になると発生しやすいいもち病のリスクが大幅に減るなど、無肥料と無農薬のセットには合理性があったりします。

糖分とりすぎると糖尿病になってインスリンが必要になるみたいに、ガンガン肥料をあげると農薬も必要になってくる訳ですね。ま、それは栽培する側にとって重要な話でありますが。

さてさて、今回はざっくりとした大きな話だったので、次回は無肥料無農薬栽培のメリット・デメリットや合理性についても書いてみようと思っています。